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社会の授業で出てくる、県名と県庁所在地名。苦労して覚えた人も多いでしょう。さて日本地図を見て何か気づいたことはないでしょうか? そう、県名と県庁所在地名を暗記するとき、鹿児島県-鹿児島市のように、県名と県庁所在地名が全部一致していれば楽に覚えられますが、兵庫県-神戸市のように一致していない都市があるのでやっかいです。現在県名と県庁所在地名が異なっている都道府県は十八、残りの二九は一致しています。どうして同じところと違うところがあるのでしょうか。
●最初は県名と県庁所在地名は一緒だった
一八六七年の大政奉還で政権が江戸幕府から明治政府に移ると、政府は旧幕府の領地を府・県とし、全国にいる大名の領地を藩としました。大名は知藩事として藩に残ることを許されたので、引き続き大名が藩を治めるかに見えました。ところが政府は一八七一年の廃藩置県で、今度は全ての藩を廃止して県に置き換え、知藩事をやめさせて新しく県令を派遣すると発表しました。幕府時代の体制をくずし、中央集権化を進めるための政策でした。そして藩の名前は新しい県の名前へと受け継がれ、最初は県名と県庁所在地名は一致していました。

●分割・統合の混乱の中、突然色分けされた県名と県庁所在地名
ところが政府はほとんど全ての藩をそのまま県に置き換えてしまったので、廃藩置県直後の県の数は、三〇二もありました。おまけに各県の境界線は複雑で、飛び地も多く、県内の行政には不都合でした。そこで廃藩置県が実施された同年末に、大きすぎる藩(県)は分割し、小さすぎる藩(県)は近くの大きな藩(県)に統合していきました。その分割・統合の混乱にまぎれ、県名と県庁所在地が一致しないところや名前を変えられたところが生まれたのです。

●明治政府は忠勤藩と朝敵藩で県をランク分けした?

県名と県庁所在地名が一致しない県を調べていくと、明治維新のときに最後まで江戸幕府に味方して政府に反抗した朝敵藩や曖昧な態度をとっていた曖昧藩が多いことがわかります。例えば、盛岡藩(岩手県)や仙台藩(宮城県)などです。一方、薩摩藩(鹿児島県)や長州藩(山口県)などは、明治維新に大変貢献したので忠勤藩と呼ばれ、県名と県庁所在地名は一致しています。薩摩藩の正式な名前は鹿児島藩、長州藩は山口藩なので、これらの藩は藩名がそのまま県名と県庁所在地名両方に残されています。名誉なことですね。ところが朝敵藩の中には、大きな藩であったにもかかわらず統合の過程で消されたり名前が変えられたりして、県名にも県庁所在地にも名前が残されなかったところがあります。徳川の御三家のうち名古屋藩や水戸藩も県名には残っていませんね。では朝敵藩なのに県名と県庁所在地が一致しているところはないでしょうか。会津藩(福島県)や米沢藩(山形県)は朝敵藩ですが県名と県庁所在地名が一致しています。でも、両藩とも県名にも県庁所在地名にも藩名は残されず、変えられてしまいました。明治政府は自分たちに反抗した藩の名前を、混乱の中で抹殺していったのでしょうか。もちろん、県名と県庁所在地名の取り決めについてはこの他にもいくつか理由はあるようですが、明治政府に何らかの意図があったのではと考えられています。県名と県庁所在地名が同じかそうでないかという単純な事柄のなかに、当時の人々の思いが見えてきます。

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